何者かになりたかったけど、何者にもなれなかった私とあなたへ。

こんにちは。
リマインダーヴォイスヒーラーの有薗麻衣です。

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子供の頃は、どんなものにもなれると思っていた。
自分は、この世界に選ばれた主人公なんだと思っていた。

大人になったら、自分だけの才能をふんだんに生かして、
誰よりも輝くんだ!

……。

しかし、気が付けば子供の頃に感じていた
「特別感」は
どんどん薄れてきている。

「いやいや、私としての人生は一度きり!
自分には自分だけの特別な役目や使命があるはず……!」

そんな風に自分を奮い立たせてみるものの、
ただただ時間だけが過ぎていく。

思い描いていた夢は破れて、
想像もしていなかったくらい普通の……
いやもしかしたら普通以下の毎日を送っている。

「こんなはずじゃなかったのに」

自分と同じくらい、あるいは
ずっと後ろにいると思っていた人には
いつの間にかずいぶん先を越されてしまって。

「私の人生って、なんだったんだ……?
いや、きっとここから奇跡が起きるはず。
物語はここからだ!」

と、何度も言い聞かせる。

そしてまた、時間だけが流れていく。

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上記、過去の私をざっくばらんに書いてみましたが
(細かくはまたこれからぼちぼちと発信してく)

同じような感覚になっている人は
結構いらっしゃるんじゃないかしら。

私は昨年、北インド式の占星術鑑定で
自分のホロスコープの説明をされた時、
非常にショックを受けました。

「あれ、私って主人公じゃなかったんだ」

と。

私は中学生の頃から声優を志し、
高校1年で初めて受けたオーディションで合格し、
演技の勉強を始めた。

その時の私は
「私には才能があって、
すぐに事務所に所属してデビューする!
めっちゃ売れる!」
と謎の確信を持っていた。

しかし、行きたかった事務所の最終審査に落ちて……。

絶対に受かると思っていた私は、
号泣しながら自分を責めた。

演技を始めて2年目のクラスの先生には
「高校2年生? あなたと同じ年齢で
もっと才能あってうまい人なんていくらでもいますよ!」
と、みんなの前で怒鳴られた。

数えきれないほどの挫折と失敗。

思い描いていた夢は、叶わなかった。

それでも、どこかで「いつかは」
なんて甘い考えを持っていた。

でも、北インド占星術の鑑定で
「降参せざるを得ない」現実を
見せつけられてしまったのだ。

あーあ。
私の人生ってなんだったんだろーな。
はっはっは。
……
なんてむなしい笑いを浮かべた。

南インドの大大大占星術師である
K・N・ラオ先生は
プロスポーツ選手になりたいとか
芸能人になりたいだとか
その手の相談が来た時は

「やめさせなさい」
と言うそうだ。

その人個人のホロスコープがいくら良くても、
競争相手のホロスコープがもっと良い場合、
結果は競争相手が勝つ。

そんなわけで、個人の才能アリナシうんぬんよりも、
周りの人間との兼ね合いとか、
そもそもがめちゃくちゃな運が必要だったりで
成功者は本当に一握りすぎるのだ。

成功するかしないかは、
個人のホロスコープだけでは究極的にはわからない。

この世界は、その人だけの世界じゃないから。

だから、諦めさせる方向にもっていく。

厳しいなぁと思いつつ、
それはある意味優しさなのかもしれない。

占星術は立派な学問なので(特にインド占星術)
ふわふわでやわらかな占いとは本来違う。

アラン・レオが生みの親である
モダン占星術の歴史はまだ200年弱。

モダン占星術の鑑定結果は、割と誰にでも優しく
どんな人生にも特別な意味を見出してくれるように感じる。

それこそ
「あなたは主人公なんだよ! 特別なんだよ!」
と甘い言葉をかけてくれるような。

対してインド占星術は
「あんたは別に大した人間じゃないんだよ」
ってことを突きつけられる感じなのだ。
(だからこそ占星術師が言葉や表現を選ぶのは
とても大切にすべきモラルでありマナー)

残酷で冷たいように思える。
でも、いい意味で諦めとかをもたらしてくれる。

「そうか、しゃあないな」

投げやりになるのではなく、
ただ粛々と受け入れざるを得ない感覚。



「あなたは確かに、あなただけの人生の主人公だ。

しかし、周りの人間一人一人も等しく主人公なのだ。

あなただけが特別なんじゃない。

あなたも、あの人も、その人も、特別なのだ」

……

究極的には一人一人の人生には
意味なんてないのかもしれない。

苦しんだり悩んだり、時に楽しんだりの葛藤そのものが
人間の人生なんじゃないか。

何者かにならないといけない風潮が
潜在的にあるような世の中だけど、
そもそもそんなものならなくても
いいのではないか?

何者かになってる人も
実はそんな風に見えてるだけかもしれない。

実際、いわゆる成功者と言われる人が
悩みを抱えていて、苦しんでしまっているなんてザラである。

何者かになることを人生の目的にする必要はない。

何者かにならなくったって、幸せに、
日々を大切に生きることこそが尊いことかもしれない。





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