映画「かぐや姫の物語」を観ました。
こんなすばらしい作品、なぜ観なかったのか今まで!
だけど、今のわたしだからこそ観られたのかも。
感想をつらつらと書きます。
長いです。
一部過激かもです。
女の幸せとは。人生とは。
幼い頃は、野や山をかけまわり、自然や仲間と楽しく過ごしていた姫。
しかし高貴な姫君にはふさわしくないからと、大好きな仲間から引き裂かれ、言葉遣いや作法、お化粧など「姫らしく(女性らしく)」型にはまることを求められる。
自分が望んでいるわけではないのに「位の高い男性に結婚を求められること」それが女の幸せであると押し付けられる。
見ず知らずの男性に、姿を見せない自分の風貌を憶測でからかわれてバカにされる。
美しい言葉で姫の琴線に触れるプロポーズをしてきた殿方が、結局は見た目でしか判断していなかったこと。
「わいがこうしたらみんな喜ぶんだぜおまえもそうだろ、な?」と勘違い帝(顎)にいきなり抱きしめられ怖い思いをするとか。
観ていて、胸が締め付けられました。
年齢とか見た目とか、体系とか割と平気で茶化してくる男性は現代にもおりますな。
「冗談なんだから笑って流してよ」「飲みの席なんだから」なんて言われてもね、逆に女が男性に同じことをしたらどうなんでしょう。
ちなみに同じようなこと言ってみたら、めっちゃしゅんとされたり、キレられたりしました。えへ。(もうそんなことしないよ)
あと勝手に触らないでくれ!「減るもんじゃないし」と簡単に体触るな!
好きな人以外には触れさせたくないのが女というものよ。
(みんながみんなじゃないのはわかってて書く)
目上の人だと「やめてください」と言えない空気もあったりするんやで…。
はっきり物言うわたしでも、言えないときはあるんやで…。
巷でにぎわってたセクハラ発言なども「イケメンならいいんだろ」とか正気を疑うこと言う人もいたのですが、そんなことないから断じて。
その発想まじ顎の帝系列。危険よ!ぴーぴー!
あ、わたしはフェミニスト的な主張をしたいわけでないのですよ!!
男性は男性で、「男とは」を押し付けられて苦しんでいるのかもしれません。
弱いところを見せるなんて情けないからと、女とはまた違う檻に閉じ込められているのかなあと。
それが男のロマンというか哀愁だなと思ったりもします。
だから「女だからこうあるべき」「男だからこうあるべき」とかその他の制限は、自分自身にも他人にもかけちゃいけないなって思いました。
月に帰ること
「もうこんなところにいたくない」と月にSOSを求めた姫。
しかし「やっぱりこの場所にいたい」と思い直すのですが、時すでに遅し。
大好きだった捨丸にいちゃんとの美しい逃避行。
最初は、月が見せてくれたささやかな贈り物なのかな、と思いました。
でも、姫とにいちゃんの愛(願望)が月の力に勝った瞬間なのでしょうか。
だけど結局月の力には抗えなかった。
現実に戻ると、捨丸にいちゃんは妻と子供と仲間のもとへ。
本当に、もう遅かったのです。
翁と嫗と別れを惜しむところで天女が
「月に帰ればそのような穢れた感情はなくなりますよ」と声をかける。
姫は「穢れてなんかいない!この世界は彩りに満ちている」と主張。
その言葉にも動じず、姫に羽衣をかける天女。
羽衣をまとうと、地球での記憶は失ってしまうのです。
嬉しいことも悲しいことも、すべてすべて。
大好きだった人たちも、みんなみんな。
トータルな感想
地球では、楽しいこと苦しいこといろんなことがあります。
本当に彩りに満ちていますね。
わたしは、どんな人も自らが「地球に生まれたい」と思って生を受けると思っています。
だけど生きていくにつれ、よくわからん制限とか常識とかで、自分のやりたいことができなくなっていく。
自らが望んで生まれたということさえも、忘れてしまう。
死ぬ間際になって「待って、本当はやりたいこと、たくさんあった。でも、できなかったから、もう少し時間をください。この地球でもっと色々味わいたい」と言っても、人の寿命は決まっていて抗えない。
わたしは、輪廻転生を心から信じています。
だけど、前世の記憶なんて普通の人はないですよね。
わたしもないですもん。
たまに「あなたの前世はなんちゃらだったよ」と言われても、「へーそうなんだー」くらいにしか思いません。
だから地球での彩りは「今」「この人生」でしか味わえない。
やりたいことが、たとえ周りの人からは滑稽に見えても、批判されても、やりとおそう。
大好きなものを大好きでいよう。
全力で笑って泣いて怒って楽しもう。
月に帰ると、すべて忘れてしまうのだから。
キャッチコピーの「姫の犯した罪と罰」とは、
生まれたいと願って生まれ落ちた地球で、自分の歩みたい人生を歩みきらず、月に帰りたいと願ってしまったことなのかなあ、と思いました。